境内案内
総門Somon
銀閣寺垣Ginkakujigaki
総門から中門まで長さ約50メートルの参道。銀閣寺垣と呼ばれる竹垣で囲まれた細長い空間は、これから始まる壮大なドラマの序章です。本来は防御をかねた外界との区切りとして設けられたと思われますが、その厳粛で人工的な空間は我々の雑念を消し去ってくれます。それは喧噪の現代に生きる我々と、東山殿に現出しようとした浄土世界をつなぐプロローグでもあります。
中門(受付)Chumon
庫裏・大玄関Kuri・Daigenkan
書院(非公開)Syoin
平成5年(1993)11月、延べ10年の歳月をかけて落慶となった新書院。大広間に飾られた明治の世界的画家、富岡鉄斎の襖絵が圧巻です。また旧庫裏(クリ)の茶室集芳軒(シュウホウケン)を移築。伝統的な寺院建築を踏襲しながら、新しい時代の慈照寺の象徴として広く門戸を開放しています。東山時代の手法をふまえた庭園もまた趣向にあふれています。
宝処関Hosyokan
方丈Hojo
方丈(本堂)は江戸中期の建造。銀沙灘(ギンシャダン)と対象をなすその堂々たるたたずまいは、義政公の遺徳をも偲ばせます。ご本尊として釈迦牟尼仏が安置され、正面の額には「東山水上行(トウザンスイジョウコウ)」を掲げ、内部には江戸期の南宋画家の巨匠、与謝蕪村(ヨサブソン)、池大雅(イケノタイガ)の襖絵が所蔵されてます。方丈から見る月待山はまさに絶景です。
東求堂Togudo
観音殿(カンノンデン)(銀閣)とともに、東山殿造営当時の遺構として現存するのが東求堂(国宝)です。東求堂は本来持仏堂(ジブツドウ)、すなわち阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂でした。
浄土信仰の象徴として東求堂を建て、禅宗様式の庭園を周囲にめぐらしたところに、義政公の精神世界を垣間見ることができます。
弄清亭Rouseitei
銀沙灘Ginsyadan
方丈前には白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐台形の向月台があります。銀沙灘は月の光を反射させるためとか、向月台はこの上に坐って東山に昇る月を待ったものだとかの俗説がありますが、これら二つの砂盛りも室町時代まではとうてい溯り得ず、近世以後の発想ではないかと思われます。しかしこのような奇想天外な行き方は独創的で他に例がないでしょう。
向月台Kogetsudai
八幡社Hachimansya
観音殿 銀閣Kannonden Ginkaku
銀閣寺の俗称のとおり、慈照寺の象徴というべきものがこの観音殿(銀閣・国宝)です。義政公は自らの宗教観を託し、一層を心空殿(シンクウデン)、二層を潮音閣(チョウオンカク)と命名しました。鹿苑寺(ロクオンジ)の舎利殿(シャリデン)(金閣)、西芳寺(サイホウジ)の瑠璃殿(ルリデン)を踏襲、唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的建造物として有名です。白砂の砂盛り向月台(コウゲツダイ)と、波紋を表現した銀沙灘(ギンシャダン)とのコントラストは、訪れる人々を立ち去り難い世界に誘います。
観音殿 銀閣
Kannonden Ginkaku
ライブカメラ
洗月泉Sengetsusen
錦鏡池南東端に落ちる滝、山部山畔から流れ落ちる水を銀閣・東求堂のある下段の庭へ導きます。
展望所Tenbojo
※車椅子・ベビーカー不可
弁財天Benzaiten
※車椅子・ベビーカー不可
漱蘚亭跡Sosenteiato
上段の庭を苑路から望む。漱蘚亭跡付近には崩れかかったような珍しい石組みが見られます。
※車椅子・ベビーカー不可
お茶の井Ochanoi
下段の庭から東部の山腹をさかのぼると湧水、お茶の井があります。
※車椅子・ベビーカー不可