関連資料
相国寺史料文献一覧
史料名 | 著編者 | 成立年代/略説明 | 刊行本 | 史料所蔵機関 |
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空華日用工夫略集 |
義堂周信ほか |
1325(正中2)~1388年(嘉慶2)/僧としてのあり方や、布教方法、政治状況、自己の文学作品についての自説の展開などを日々記したものに、自分の履歴を記し、さらに弟子が加筆してまとめられた書物。 |
『改訂史籍集覧』『空華日用工夫略集』『訓注空華日用工夫略集』 |
南禅寺、瑞泉寺、内閣文庫、尊経閣文庫、静嘉堂文庫ほか |
蔭凉軒日録 |
季瓊真蘂、 |
1435(永享7)~1493年(明応2)/蔭凉軒は、相国寺の寮舎で、将軍が軒主の小御所的存在だったが、留守職に季瓊真蘂が就くと、軒主を自称し、宗教行事の披露奉行を行った。蔭凉軒日録は、その役職日記。将軍の宗教行事に関する記事、幕府機構、事件や芸能なども記してある。 |
『大日本仏教全書』『続史料大成』 |
東京国立博物館、内閣文庫、尊経閣文庫 |
臥雲日軒録抜尤 |
瑞渓周鳳 |
1446(文安3)~1473年(文明5)/「臥雲日軒録」で現存するのは惟高妙安の抄録「臥雲日軒録抜尤」のみなので、原本の内容は正確ではないが、「抜尤」では周鳳の日記から抜き出した名僧・叢林の記事が主。所々省略されている。 |
『続史籍集覧』『大日本古記録』 |
田中穣氏 |
鹿苑日録 |
景徐周麟、 |
1487年~1651年の相國寺鹿苑院主歴代の執務日記。1615年まで鹿苑院院主が僧録を兼ねていたので禅宗寺院の人事、日明貿易など、室町末期から江戸初期の京都 |
『鹿苑日録』(大洋社)(続群書類従完成会) |
東京大学 東大史料編纂所(慈照院に所蔵されたが、東大附属図書館に移り、3冊を除き、関東大震災にて焼失。(他部署に貸出された3冊のみ焼失を免れる)謄写本を史料編纂所が所蔵) |
隔冥記 |
鳳林承章 |
洛北の名刹鹿苑寺(金閣寺)の住職、鳳林承章が寛永12年(1635)8月、45歳の折に書き始めたのが『隔冥記』(かくめいき)という記録である。寛文8年(1668)6月まで |
鹿苑寺 |
鹿苑寺 |
相国寺資料 |
小畠文鼎 他 |
「相國考記」別本で「萬年編年精要」(内容はほとんど同じ)永徳2年(1382)義満相國寺建立発願から慶長14年(1609)三門再建まで、約230年間の相國寺関係文献の抄録と、小畠文鼎師による「相國寺史稿」全40冊昭和2年完成。慶長10年(1605)豊臣秀頼による法堂再建の慶讃法要から慶応3年(1867)までの約260年にわたる相國寺関係資料である。別巻として「萬年山聯芳録」(昭和7年) |
思文閣出版 |
相國寺 |
萬年の翠 |
小畠文鼎 |
大正12年(1924)、相國寺小史 |
相國寺 |
相國寺 |
禪林僧寶傳 |
荻野獨園 |
禪林僧寶傳、續禪林僧寶傳合わせて3巻本として思文閣出版より昭和48年復刻 |
思文閣出版(3巻) |
豊光寺 |
續禪林僧寶傳 |
小畠文鼎 |
江戸時代から大正、昭和に至る禪匠たちの行實が実証的に描かれている。禅僧伝(7巻) |
思文閣出版(3巻) |
鹿苑寺 |
住持寮日記 |
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文化5年(1808)―文久3年(1863) |
相国寺 |
相国寺 |
役者寮日記 |
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寳暦12年(1762)―明治2年(1869) |
相国寺 |
相国寺 |
參暇寮日記 |
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天和2年(1682)―明治4年(1871) |
相国寺 |
相国寺 |
古寺巡礼相國寺 |
有馬賴底 |
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淡交社 |
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古寺巡礼 |
村上慈海 |
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淡交社 |
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古寺を行く 33 相国寺 |
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小学館 2001年10月9日 |
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古寺を行く14 |
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小学館 2001年5月22日 |
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西笑和尚文案 |
西笑承兌 |
西笑承兌自筆の書状案文等とその紙背文書。付録として同時代に書かれた有節瑞保、鶴峰宗松の自筆日記である「文禄中日記」、相国寺本坊所蔵文書の内西笑の生存していた時期のもの「相国寺本坊文書」を収録 |
思文閣出版 |
相国寺 |
新版古寺巡礼 |
有馬賴底 |
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株式会社 淡交社 |
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新版古寺巡礼 |
有馬賴底 |
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株式会社 淡交社 |
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新版古寺巡礼 |
有馬賴底 |
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株式会社 淡交社 |
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