臨済宗相国寺派

関連資料

相国寺七重大塔

応永6年(1399)、三代将軍足利義満が高さ36丈(約109メートル)と伝えられる七重の塔を相国寺東南の地に建立。義満の重厄の年であり、また父義詮の33回忌にあたる年でもあった。
時の関白一条経嗣にあらわされた「相国寺塔供養記」によると、応永六年(1399)9月15日に行われた相国寺御塔供養は、「千僧供養」をもって供養会が行われている。これは健久六年(1195)の東大寺再建時の落慶供養にならってのことであり、当時の相国寺一門の隆盛を知ることができる。
しかし、この塔も応永十年に落雷によって炎上し、その後北山に移して再建するが応永二十三年(1406)の正月九日から十日にかけて炎上する。その後、七重の大塔は相国寺東南の旧地にもどされて再建され、文明二年(1470)3度目の火災で灰燼に帰すまで京のシンボルとして君臨した。
塔からの眺めはすばらしく、瑞渓周鳳(相国寺第42世)が「塔上眺望」と題する詩に、そのさまを詠んでいる。また当時の都を鳥瞰した「洛中洛外図屏風」町田本(重文)は、この七重塔からの眺望をもとにして描かれたという説もある。 現在七重の塔の跡は残っていないが、相国寺の近くに、「塔之段」という地名が残っており、その場所に七重の塔があったといわれている。

関連資料一覧へ戻る